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先の大戦の勝者 第5回

前回はアメリカの戦争目的をやりました。

実はフランクリン・デラノ・ルーズベルトはスパイで、共産主義の隆盛という裏目的があったとしたら大成功と言ってよいかもしれません。証拠はありませんので、あくまでも「もしも」の話となります。

さて、今回はソヴィエト連邦について確認したいと思います。

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ソビエト社会主義共和国連邦

ソヴィエト連邦の戦争目的

 

戦争目的で言えば、ソヴィエト連邦は完全勝利と言えます。

 

ソヴィエト連邦以前のロシア帝国は、崩壊するまで陸の王者、世界第二位の大国で、チャンピオンである海の王者である大英帝国にチャレンジするという構図でトルコ方面、ペルシャ方面、アフガニスタン、満洲と常に不凍港を得るため南下を目指し、都度大英帝国に阻まれてきました。最後の総決算が日露戦争で、英国と利害が一致した日本に援助し、ロシアとロシアが戦いました。

 

日露戦争後、帝政ロシアが倒れ、ソヴィエト連邦が設立しました。

1922年に建国した時点でソヴィエト連邦は、思想的な味方も同盟もなく、地理的な問題もあり、ありとあらゆる列強(日英米独)に挟み撃ちにされる危険があり、存亡の危険にさらされた状態でした。

 

帝政ロシア、ソヴィエト連邦、ロシア連邦は一貫した戦略をとっています。

倉山満氏によるロシアの法則は、

 

  1. 何があっても、外交で生き残る
  2. とにかく自分を強く大きく見せる
  3. 絶対に大国相手の二正面作戦はしない
  4. 弱いやつは潰す。約束など守らない
  5. 約束を破った時こそ自己正当化
  6. 戦争の財源はどうにかしてひねり出す
  7. どうにもならなくなったら、綺麗事でごまかす

 

ノモンハン事件や独ソ戦、継続戦争などソヴィエト連邦の戦争は、勝利と云われていても(ノモンハン事件には異論もあります。)損害が敗北側より非常に多いのが特徴です。数で押し切って勝利に持ち込んでいるわけです。

継続戦争ではフィンランド兵1人にあたりソ連兵が31人戦死しているとも云われています。

現在のロシアは東京都程度のGDPですが、非常に強いとみなされています。最新鋭の先端軍事技術のインド依存が進んでいるとのことです。

現在のロシア連邦は、旧ソ連ほどの能力がないのは実情ですが、現代でも旧ソ連同様脅威に感じている一般的な日本人は多いのではないでしょうか。

極東に住むロシア人は100万人程度しかいません。

そういった意味では、2番は完全に成功しているといえるでしょう。

 

日露戦争の結果、朝鮮に対する干渉どころか南部満洲と南樺太を奪われ、1931年に起きた満州事変で「戦わずして勢力圏であった北部満洲をまるごと奪われました。」

 

1933年には、ドイツにおいてヒトラー政権が設立。共産党に対して敵対的な政権です。

ドイツと日本の二方面作戦は絶対に取りたくなかったでしょう。

アメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領が同年にソヴィエト連邦を国家承認しました。

 

1936年日本とドイツは、日独防共協定を締結します。

ソ連にとっては、非常に危機的な事態です。

支那では、子分である中国共産党(中華ソヴィエト政府)は国民党に駆逐される寸前でしたので、存亡を図るために西安事件を起こし敗北寸前であった中華人民共和国は滅亡を逃れ、第二次国共合作により1937年ごろ支那事変が勃発、日本の目を他に向けることに成功しました。

 

この頃には国民党内、日本国内(右翼のフリした社会主義者)、アメリカ国内(FDR政権内)のコミンテルンスパイは十分浸透していました。

 

1939年支那事変が泥沼化しているさなか、ノモンハンで関東軍を挑発、偶発を装い戦闘開始したものの日本側に手強い抵抗を受けました。

 

敵対者であるドイツとの独ソ不可侵条約を結びポーランド侵攻。ポーランド半分を棚ぼた状態で手に入れ、しかも独立保障し同盟を結んでいたイギリスとフランスはドイツのみに宣戦布告。非常にラッキーな状態です。

 

バルト三国を難なく手に入れ、フィンランドに侵攻。フィンランドは非常に手強く簡単には行きませんでした。またフィンランド侵攻したことで国際連盟を除名となりました。

 

1941年4月13日 日本から中立条約を提案により日ソ中立条約を締結。

 

本条約は 両締約国に於て其の批准を了したる日より実施せらるべく 且5年の期間効力を有すべし

両締約国の何れの一方も右期間満了の1年前に本条約の廃棄を通告せざるときは 本条約は次の5年間自動的に延長せらるものと認めらるべし

— 大日本帝國及ソヴィエト社會主義共和國聯邦間中立條約、第三條

 

ソ連側が行なったのは、条約の自動延長しないという通告のみで、5年以内に破棄するという話ではありません。

 

ヤルタ密約による対日参戦にしても、日本がポツダム宣言を受け入れてからはじめています。

対日戦参戦は、条約締結2ヶ月後に行われた関東軍特種演習を理由としていますが、関特演が行われたのは1941年(昭和16年)6月22日です。参加者談によると演習では冬期装備を持たなかったそうですから、本気で攻め込むつもりはなかったようです。それは関係なく、その時点で日ソ中立条約の破棄もされていませんし、抗議もされていません。数々の理由を踏まえ、スターリンの行動から関東軍および支那派遣軍の兵力と実力を脅威としていたことは一目瞭然です。

ソ連軍の満洲侵攻時には、関東軍は武装解除しており、戦闘にはならず、ただの殺戮でした。

一方支那派遣軍の岡村大将は、武装解除を計画的に行いましたので、万里の長城以南にソ連軍は侵入できませんでした。

また、千島列島の防衛隊も少数ながらも北海道侵攻を防いでいます。(ソ連から東京に千島では武装解除していないと苦情を入れた記録があります。)

 

米ソ冷戦

戦後、最終的に地球の約半分を赤化することに成功しています。

満洲を取るどころか、旧日本領の北部朝鮮まで手に入れ、千島列島、南樺太をまるごと手に入れ、日露戦争の雪辱を晴らしました。

こうやって振り返ってみると、戦争目的を完全に達成できているのはソヴィエト連邦であろうと思われます。

実際のところ、うまい具合に日本とアメリカを仲違いさせて、日本の目をソ連からそらしたという意味、何度やっても勝てなかった大英帝国を没落させたという意味。ソ連に対して融和的なアメリカ政権から膨大なレンドリースをただで手に入れ、勝利どころか不安定な建国時から比べ帝政ロシア以上の規模で大国化ができたという意味では、スターリンは笑いが止まらなかったでしょう。ただし戦争後20代男性の7割が戦死しています。(シベリア抑留の原因)

 

サンフランシスコ講和条約には、ソヴィエト連邦、中華人民共和国は署名しておらず、現在においても、「ソ連とソ連の後継とされるロシアとは、戦後講和が成立していません。」

 

現在、安倍首相とプーチン大統領との会談において戦後講和(平和条約)締結に向けて動いているわけですが、今までの経緯、流れを見る限り、現在の北方領土交渉についてもこのロシアの法則は生きているものと思われます。

注意深く、上記を踏まえ、現在のロシアの国力、日本の国力を踏まえた世論形成が必要であろうと思われます。

非常に非情であるかもしれませんが、北方四島の墓参りや帰郷に関しては、当時子供だった住人が高齢化し非情に難しくなっています。

損して時間をとるか、困っているロシアに対し時間をかけて有利に導く実を取ったほうが良いのか、判断するほどの情報と材料はありませんので、ここでは言及しません。

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