1936年の勢力地図(HOI4)について

先日、自分が遊んでいたゲーム(Hearts of Iron IV)の1936年の極東マップをtwitterにて掲載したところ、思いの外たくさんの反響があり、私自身も吃驚いたしました。

2018年11月28日現在、7161RT、11352いいね

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主観による認識の違い

誤解している人もいるかも知れませんが、私個人的には、あの地図が完全に正しいというつもりはありませんし、また、完全に間違っているとも思っていません。

当時、中国共産党は、抗日と叫びながらも日本と戦うようなことは一切せず、山奥にこもっていました。実際のところは、工作上手な毛は裏で、岡村寧次大将と繋がってすらいました。(岡村寧次自伝より)

 

一説によると奥地に引きこもって、中国史を作っていたとも云われています。(現在の中国史と日本の教科書に記載されている史実もそれに従っています。 中国という用語利用による地域史を漢民族史に統合。アヘン戦争により中国は近代化したなど)

 

あの地図を一生懸命否定している人がいましたが、苦情や訂正依頼は私ではなく、パラドックス社にしていただければと思います。

ちなみに私自身は、八方美人のどっちつかずのコウモリになりたいと思っているわけでもありません。

 

領土(勢力範囲)というものは、国家(勢力)によって主張する範囲が異なります。

またその勢力が第三国に承認されているかどうか、によっても変化します。

領土主張、独立主張したところで、力がなければ他の国家の保護下に入ってしまう場合ももちろんでてきます。

 

現在においても国境線というのは、立場によって異なるわけです。

ロシア側の地図

 

日本側の地図

 

※ロシアの領土主張と日本の領土主張が違っており、また解決していないため、両者の地図にそれぞれ同じ範囲が重複しています。(択捉島、国後島、歯舞諸島、色丹島)

 

 

現在交渉中の北方四島がロシア側の地図にも、日本側の地図にも登場しています。

この交渉がいつの日か結論が出て、どちらに帰属するかが決定すれば、戦後ずっと日本(ロシア)のものだったとなるわけです。

ただし、現在はどちらにも記載されているという事実は消すことはできないと私は思っています。

 

ヒトラーに敗北後のヴィシー政権(意外に支持率は高かった)は、現在のフランス共和国においては「なかった」ことになっています。存在を認めると現在のフランスの正統性に支障をきたしてしまいます。

というわけで、「当時存在していなかった」ヴィシー政府と交渉したものは今でも認められていません。(仏印進駐など)

 

法治主義を採る近代的な国民国家同士ならまだしも、当時の未成熟な国家と呼んでよいか微妙な勢力同士では、法的帰属、実質的な支配、現地の支配体制の確立できていたか否かを含め、はっきり言って微妙です。

 

現在、日本で普遍的に語られているのは、「中国共産党の主張している」史観であるというだけです。

 

後世基準でいうならば、wikipediaの記載通り、蒋介石の北伐以降、形式的には一応、国民党により統一されたとされています。

ただし、国民党とは全く別の組織である毛沢東率いる中国共産党は各地に存在していましたし、今までの軍閥が解体されたわけでもありません。

ヤクザの連合みたいな感じでしょうか。実際にやっていることはヤクザと殆ど変わりありません。(100年間分の税を取り立てた張学良など)

ヤクザと違うのは上納金(税金)を中央へ集約せず各自独立運営していたことでしょうか。

 

実際に支那方面軍が、支那事変中(日中戦争)に正統政府の「元首」たる蒋介石ではなく、支那軍閥(将軍)や中国共産党の毛沢東と個別に交渉したという事例も記録として残っています。

あくまでも最終的な北支、南支の勝者である中国共産党の史観が日本を含め各国で普遍化しているだけです。

もし日本が勝利したならば、共産党はもちろん、蒋介石の国民党はなかったことになり、国民党 汪兆銘政権あたりが主流派になっていたのではないでしょうか。

 

ブラット・ピット主演の映画、セブン・イヤーズ・イン・チベットが中国共産党から抗議を受けたのと同様な理由であの地図も抗議を受けたのではないかと推測いたします。

 

チベット(西蔵)について

モンゴル人や清の皇帝(満洲人/女直)は、チベット仏教徒でした。

かつて日本の為政者が寺院を保護、寄進したのと同様、清の皇帝も同じくチベットを保護(自治)していました。当時のダライ・ラマが北京訪問の際には皇帝とほぼ同等の椅子に座りました。

 

辛亥革命後、支那が清から独立宣言したときに、チベットとモンゴルも独立宣言しました。(実力的に完全に独立できているかどうかは別ですが、それはあくまでも主観の問題)

 

チベットはあくまでも清(満洲人)の保護国であって、漢人とチベットは全く交流も使う言葉も文字も関係ありませんでしたので漢民族の下につく理由、意味もありません。(清国の公用語は政治的にも主として満洲語、それぞれの地域の運営を円滑に進められるように、モンゴル語と漢字を公用語として採用していました。中央の政治に関わる人間は満洲語を利用)

例えていうと、英連邦のインドが英国を倒し、カナダやオーストラリアの領有を主張するようなくらいのおかしな主張を中国共産党はしており、無知をいいことに周辺諸国に史観を内政干渉をしつつ強要しているわけです。

 

ちなみに清国において辮髪を強要されていたのは、漢民族のみでモンゴル人もチベット人も辮髪ではありません。(漢民族が辮髪していないと清朝に対し反乱する意志があると見なされた。)

 

以上のような理由により、あの地図は完全に正しいとは言えませんが、概ね正確なのではないかと思われます。(細部の誤りはもちろん存在するであろうと推察します。)

私が利用した歴史教科書の図(山川)

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