中国の定義 番外編
まとめを含め、全5回にわたって中国の定義とは何かについての記事をあげました。
日本人は何を中国と呼んでいるのか。中華人民共和国は、日本人に何を中国と呼んでほしいのかを改めて確認するために、
- 国家
- 中華という概念
- 民族
- 漢字・言語
- 文化
とそれぞれ中国の定義になりうる概念をひとつひとつ確認し、中国四千年(五千年)の歴史と照らし合わせて否定してきました。
この5つの概念とまとめでシリーズは終了いたしましたが、失念していた概念が1つ存在しましたので、番外編ということで、忘れたころに追加させていただきたいと思います。
最終回のまとめの結論という意味では変更はありませんが、念のため確認したいと思います。
スポンサードサーチ
6.伝国璽
伝国璽は、秦の始皇帝が霊鳥の巣から見つかった宝玉を用いて作らせたとされる印璽で、始皇帝は、皇帝の権威の象徴にしました。
秦の皇帝を象徴とする印璽ではありましたが、のちの漢に引き継がれ、以後代々シナ皇帝に受け継がれたことから「伝国璽(でんこくじ)」と呼ばれました。
伝国璽は、一辺が約9cmの四角形で、上部が丸い形状で5匹の龍が彫られています。
そのうちの龍の1匹の角が欠けており、金で補修されています。これが本物の証とされています。(前漢から新に代わる際に事故で角が欠けたと言われています。)
伝国璽には、どのような印文であるかというと、2つの説があり、どちらが正しいかわかっていません。秦代の漢字ですので篆書体(てんしょたい)で刻印されていると伝えられています。
※この時点で、現存せず継承されていないことがわかり中国の定義には当てはまらないことが判ります
韋昭(いしょう)「呉書」
受命于天 既壽永昌 「命を天より受け、寿(としなが)くまた永昌ならん」
応劭(おうしょう)「漢官儀」
受命于天 既壽且康 「命を天より受け、寿(としなが)くして且つは康(やす)からん」
伝国璽の継承
秦
神話化していますが、先にも述べた通り霊鳥の巣から見つかった宝玉を用いて作らせました。
漢(前漢)
秦が漢に滅ぼされたときに劉邦の手に渡りました。
新
王莽が帝位を簒奪した際に王莽の手に渡りました。この時投げつけられたので角が欠けたといわれています。
漢(後漢)
王莽が殺害され劉玄(更始帝)、劉盆子から劉秀(光武帝)の手に渡ります。
魏
霊帝(れいてい)崩御後、後継者争いが勃発し袁紹(えんしょう)らの攻撃を受けた宦官、張讓(ちょうじょう)は新たに即位した少帝とその弟、陳留王を連れて洛陽を脱出。その際に行方知れずになりました。
その後、朝廷の権力を握った董卓は少帝を廃し、陳留王を即位させます。洛陽を略奪破壊し、長安に遷都。反董卓軍の孫堅(そんけん)が洛陽入りし、洛陽南部の井戸から伝国璽を発見しました。孫堅は発見を口外しませんでした。
孫堅敗死後、息子の孫策(そんさく)が受け継ぎます。孫策は袁術(えんじゅつ)を頼ったことで、伝国璽の存在は袁術の知ることになり、孫堅の妻を人質に取り伝国璽を奪いました。
袁術は伝国璽を得たことで天子を僭称しました。袁術は即位を認めない諸侯との争いに負け、献帝に返上されました。曹操(そうそう)の跡を継いだ曹丕(そうひ)は献帝に禅譲を迫り魏の文帝として即位しました。その際、伝国璽を受け継ぎました。
西晋~後晋
西晋、前趙、後趙、冉魏、東晋、宋、斉、梁、漢(侯景こうけい)、隋、唐と受け継がれました。五代十国時代に後晋の出帝が遼の太宗に捕らえられたときに紛失。以後行方不明となっており、以降の歴代シナ王朝は漢代の玉璽を真似て作られた模造品をもって伝国璽として使用しました。(伝国璽の断絶)
スポンサードサーチ
模造品の行方
元
モンゴルの元が南宋を征服した際に南宋は元に伝国璽を献上しました。
その時に確認したところ「受天之命 既寿永昌」と彫られていたようです。楊桓伝(ようかんでん)「元史」
元が白蓮教徒により興った明によって大都(北京)を追われると、伝国璽を北に持ち去りました。
明は幾度も伝国璽を得るため北伐しますが目的を達成できませんでした。
しばらくして北元(北に行った元)から何度か明に伝国璽を返還しようとしますが、明は伝国璽に意味はないと受け取りませんでした。(伝国璽<模造品>の断絶)
清
山羊が牧草を3日間も食べずに地面を蹴り続けていたため、羊飼いが掘り返してみたところ、そこから印璽が見つかりました。その印璽には「大元伝国璽(だいげんでんこくじ)」と印文が彫られており、それを手に入れた後金の第2代ホンタイジは、元を引き継いでモンゴルを支配すると宣言し、元号を後金から清と改め皇帝を称しました。
中華民国・中華人民共和国
辛亥革命以降、紫禁城にひっそり眠っているのか、故宮博物館の眠っているのかわかりません。(大元伝国璽の断絶)
まとめ
真贋不明ではあるものの中国を表す概念とは言えないという結論が出てから、長々と模造品がどうなったかなどと、書き連ねてしまいましたが、伝国璽(本物)にしても伝国璽(模造品)にしても、大元伝国璽(モンゴル)にしても、中華人民共和国、中華民国いずれも継承されておりません。
中国の定義としては不適当だと言えるでしょう。