アイヌは先住民族か

アイヌは先住民族か

昨今、法律によって少数民族として指定されたのち税金を投入してのウポポイ(民族共生象徴空間)の展示品や創作ダンスについていろいろ話題が尽きないアイヌであるが、本当のアイヌはどんなものだったのか。

鍛冶がいないのにとかダンスが某国風であるとか、本当のアイヌの血統を残す人が団体から除外され、何のゆかりもない日本人ですらない外国人がアイヌ認定されているとか、いろいろ問題があります。

さて、アイヌの歴史を紐解いてみたいと文献を調べてみたものの、正直なところはっきりとしたことはわかりません。

昔の大和朝廷は日本国内のことは丁寧に記述していますが、大和朝廷の影響力が及ばない範囲については、それほど丁寧な記述が存在しておらず、影響力が及ばない勢力をひとくくりにして、蝦夷(えみし)や(えびす)と呼称している程度です。

考古学的観点や、遺伝子の観点ではある程度わかるようで、数少ない資料とあわせた推測である程度の動きがわかりますのでそれについて記載していきたいと思います。

新たに資料を見つけたり、私が知らない新事実が判明したりした場合、本記事を撤回する可能性がありますのであらかじめご了承ください。

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蝦夷とアイヌ

まず、蝦夷(えみし)とアイヌの関係の混同が見受けられます。
先に書いた通り、大和朝廷の影響力が及ばない勢力をひとくくりに蝦夷(えみし)としています。定義で言うと蝦夷の中にアイヌが存在するという程度で蝦夷=アイヌではないことを留意すべきです。
本州であってもよく地名が和風ではないものをもともとはアイヌ語だったという由来が語られたりする場合がありますが、それは当時の蝦夷(えみし)が使っていた地名かもしれませんが、「アイヌ語」ではありません。
わたしの住んでいる地域の近所にもそのような由来(噂レベル)があります。
※〇山(〇の部分が従来の漢字の読み方と違う)という地名で、山という文字を「やま」と呼んでいる時点で違うと推測されます。

アイヌは日本の先住民族?

日本には新石器時代(岩宿時代とも 38000年前ごろ~)というものがありました。

磨製石器を使う文化の岩宿人の遺跡は、北海道から沖縄まで遺跡があり、全国で3000~10000人が暮らしていたと考えられています。

その後北海道でも北海道縄文人が発生し、北海道ででも縄文土器を作る文化を持っていました。

縄文時代後期に北方からオホーツク文化(シベリア沿海側・樺太・カムチャッカ周辺)を持った北方人が移住してきます。残念なことに北海道の縄文文化が消滅し、そして北海道全域がオホーツク文化に入れ替わりました。縄文文化とオホーツク文化が融合したわけではなく入れ替わっているため平和なものではなかったと推測されます。

北海道縄文人とオホーツク文化を持つ北方人の混血化が進む。

ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループのY1(アイヌ2割 ニヴフ7割 ウリチ4割 ネギタール2割 縄文人0割 現代本土日本人 0.5%)
Y1はオホーツク文化を持つ北方人にのみ存在

アイヌ人は日本の先住民族とはいえず、移民であると考えられます。

岩宿時代。この時点ではアイヌ人は北海道に存在しません。

近世(江戸時代)のアイヌ人のmtDNAの解析によると、北海道縄文人とオホーツク文化を持った北方人の混血であるという結果が出ています。

アイヌ人が日本語を使っていなかなかったのもこういった理由です。

北海道の原住民は岩宿人であり、縄文人です。

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アイヌ人はいつ渡来

さて、肝心のいつアイヌ人(オホーツク文化)が渡来したのか。

結論から述べると、鎌倉時代後半になります。

13~14世紀まで樺太ではニヴフ(ギリヤーク)につながると思われる文化(採集・漁労中心)とアイヌの擦文文化(雑穀農耕を含む採集、土器を制作)が混在していました。

元朝が勢力を伸ばすと、アムール川下流域から樺太に存在した「吉里迷」(ギレミ)は元朝に服従しました。
ギレミはニヴフ(ギリヤーク)を指しているとされます。
吉里迷の民は「骨嵬」(クイ)や「亦里于」(イリウ)が毎年侵入してくると元朝のクビライに訴え、その訴えを受け1264年に元朝は骨嵬を攻撃しました。
これが北からの蒙古襲来のはじめと言われています。(文永の役、1274年(至元11年))(弘安の役、1281年(弘安4年))
ここでいう「骨嵬」(クイ)はアイヌであるとされています。
その後、元寇後の1284から1286年にかけて幾度か樺太の骨嵬に攻撃しています。
これでアイヌ勢力は樺太からほぼ排除されたとみられます。(北海道へ侵入)

まとめ

日本側の文献としては有力なものは存在しませんが、近年の遺伝子情報の研究や考古学である程度の全容がわかるようになりました。

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余談

日本刀の前身は蝦夷が持っていた蕨手刀(わらびてとう、わらびてがたな、わらびてかたな)を参考に改良されたといわれますが、アイヌは製鉄技術を持っていなかったため、蕨手刀、日本刀との関連性はありません。

アイヌが儀礼の際に利用していたアイヌ刀(イコロ・エムシ)は和人が製作したものを交易で入手していました。(ウポポイのOK印の短刀はどこから手に入れたものでしょうか?)

(了)

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