中国共産党の歴史②

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今も昔も共産党は共産主義のよさは語らず

本来、新たな思想を広める場合、理論や利点などを説いて広めていくのが一般的です。
コミンテルンの場合はそのような手段を取りません。
世間が安定している場合、求心力、訴求力が低いからです。
世間が不安定化し、貧困層の目の前に存亡がかかるような状態(戦争による敗戦や恐慌)になると、宣伝せずとも一気に求心力、訴求力があがります。
ロシア革命で得たその流れを世界戦略に利用しようとしました。
いわゆる「敗戦革命」というやつです。

コミンテルンの「敗戦革命」戦略

日露戦争、第一次大戦を経て、海洋を支配する大国が3つ(日本、イギリス、アメリカ)の三国のみになりました。大戦後、日本とイギリスは日英同盟を結んでいたので、アメリカにとって非常に脅威でした。
ポサドニック号事件が相当日本にとって非常に衝撃的な事件であったこともあり、江戸時代から日本の主敵はずっとロシアでした。
ここでロシア共産党は孫子の兵法にある敵同士をぶつける戦略(用敵)が用いました。

敗戦革命戦略とは

  1. 力ある帝国主義国家同士、謀略を使ってお互いを戦争させる。
  2. 当事国を疲弊させ、戦争による不満を充満させ、国家元首と国民を離間させる。
  3. 敗戦国は民度が一気に低下し、国家元首が窮地に立たされる事で、追い落としが可能となる。
  4. 共産主義による新たな希望を持たせる宣伝活動と、謀略、時には暴力をもって国家元首を追い落とし、新たな共産主義国家を建国する。

日本はシラス国であるため古来より少なからずある程度の富の再分配が行われてきましたが、共産主義においては富裕層を殺して貧困層に分配するという考え方です。前にも述べましたが、法治主義を無視しているため世間が安定している場合、全く受け入れられない思想です。極限状態でのみ発動するため自国を自ら敗戦に導く必要があるわけです。

二つの帝国主義(日本とアメリカ)の間の二つの資本主義的国家群の間の対立と矛盾を利用し、彼らを互いにけしかけるべきだ。
この敵意を利用して彼らを互いにいがみ合わせることである。
われわれ共産主義者は、他方の国に対抗して一方の国を利用しなければならない。

1920年12月6日 レーニン「ロシア共産党モスクワ組織の活動分子の会合での演説」要約・補足済み。

新しい世界帝国主義戦争が勃発した場合、共産主義者は、平和のための闘争の中で組織された「戦争反対者」を率いて、帝国主義戦争を資本主義打倒の内乱に転化する闘争に進ませる努力をするであろう。

1935年ソ連主導の第七回コミンテルン決議 要約済み

こうしてみると、支那事変〜日米戦争はこのレーニンの演説のとおりに時勢が推移していることがわかります。
また、当時も現在も全く同じ(日本国内でも)戦略が採られていることがわかります。
この演説の内容をみただけでも共産党の恐ろしさ、脅威が理解できると思います。

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第二次世界大戦後のアジアでの共産革命工作

日本敗戦後、アジアでは3つの国家が消滅しました。

日本を倒したのでアジアは平和になるという予想は全く外れ、支那事変事以上の戦乱がアジアに広まりました。

これにより日本の力が弱まればアジアに平和が訪れると信じて行動していた、アメリカのウィークジャパンポリシーを持った人々の考えは誤りであったことが明確になりました。
日本進駐軍が朝鮮半島に向かった時点でこれまでの戦略は誤りであったことが公にはできないものの判明したため、極東裁判の執行は途中で取りやめられ、後に方向転換し、警察予備隊が作られました。

第二次世界大戦でアジアにおいてアメリカのやったことは、味方であった日本を敵に回し、本来の敵である共産党に力をつけさせ、日本が防衛していた防衛線を著しく南下させてしまった。トランプ政権になってやっと軍やシンクタンクの認識が表に出てくるようになった。現在の国際情勢は、表立って否定はしないもののFDRが行った愚かな政策を70年以上後になって後始末をしはじめたと言えるでしょう。
(当時現役であった軍人が少なくなり、軍人の名誉に気を使う必要が薄まったという理由は存在すると思われます。)

  • ベトナム民主共和国 1945年9月2日
  • 国共内戦 1946年6月
  • コミンフォルム(共産党国際情報局)設立 1947年10月5日
  • インドネシア(蘭印)で共産党が武装蜂起 1948年
  • ビルマ(英領インド帝国)で共産党が武装蜂起 1948年
  • 再独立して5年後にフィリピンで共産党が武装蜂起 1948年
  • マレー(英領マラヤ)で共産党が武装蜂起 1948年
    ※マレーシアは英軍と現地住民が協力してマラヤ共産党と戦った。
  • 中華人民共和国建国 1949年10月1日
  • 朝鮮戦争勃発 1950年6月25日

次は敗戦革命の危機にあった日本について言及したいと思います。

つづく

 

 

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