中国の定義 第2回

中国の定義

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3.民族

漢族(現在の呼称、古代の「漢民族」と使い分けています。)が四千年間もの間、中国文明を守り、育ててきたと考える日本人は非常に多いように感じます。
実際自分自身も義務教育課程を修了した時点ではそのように考えていましたし、三国志演義の邦訳を読んで心躍りもし、尊敬の念を持ったりもしました。

漢族の前に、中原の王朝と民族について言及してみます。
故岡田英弘氏によると、夏は東南アジア系の民族、現時点で遺跡が見つかっている最古の殷(商)は、北方狩猟民系、周は西方の遊牧民が中原の地にて建てた王朝だとしています。
これらはすべて都市国家レベルで支配範囲が狭く、長城以南の地(今後便宜上、長城以南の地域名称をシナと呼称する)をすべて統一していたわけではありません。
はじめて統一し皇帝を名乗ったのが秦(紀元前221年<2018年時点で2239年前>)でありますが、こちらも西方民族系です。
各地域、師事する儒家によりばらばらだった形や意味の漢字を統一したのも秦の始皇帝です。

古代の漢民族(現代の漢族と別と考えてください)は、中原の地にいた北狄、西戎、南蛮、東夷の四夷が中央の洛陽にて交易を繰り返すうちに住み着き漢字を使い始めた城内の人々のことを言います。

歴代のシナ王朝はほとんどの場合、異民族の闖入によって倒され、易姓革命がおきるごとに民衆の虐殺が派生し、異民族の流入によって人口増加といった流れを繰り返してきました。
そのような形で多種多様な民族が混じって生まれたのが、現在の「漢族」です。

現在、中国でもっとも人口比率が高いといわれる漢族は、前漢、後漢の時代から続いている漢民族と同一かといわれるとそうではなく、その後大きな断絶を経験しています。

前漢末(紀元前2年)の漢の人口は、戸数1223万、人口5959万と人口ピークを迎えています。
その後、新、後漢、三国志で有名な時代になると魏・呉・蜀3つ合わせても戸数は146万となっています。(推定人口は400~700万)
戦乱により流民化したという論を持つ人もいますが、基本的に日本の原野のイメージと違い、シナの場合、城外はほとんど荒野で水と食料を確保することは難しく、大量の人口を賄うことは不可能でした。

その後、司馬炎の晋の統一(280年)に人口は1600万程度まで持ち直しているが、20年ほどで乱世に突入、300万程度まで落ち込みます。

五胡十六国の時代になると北や西から異民族が多数流入し4世紀半ばには900万となっています。
この流れを見ればわかる通り、黄巾の乱からの著しい人口減少により、すでに秦・漢時代の漢民族の子孫でなかったといえます。
それは、現代の漢族が使う漢字の語彙の変遷や発音が変遷していったことからも理解ができます。

関羽は、現代の漢族では見かけられないような立派な髭を蓄え、チュルク系?とも推測できる現代にはない要素がみられます。

関羽は、現代では見かけられないような立派な髭を蓄え、チュルク系?とも推測できる現代の漢族にはない要素がみられます。

次回につづく

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