先の大戦の勝者 第2回

前回、大日本帝国、中華民国(重慶 蒋介石政権)、大ドイツ国(ナチスドイツ)と戦争目的だけを取り出して、戦争の勝利を論じてみました。
第1回に日本を入れてしまったことで、ほぼほぼ結論が出てしまった感は拭えませんが、今回はフランス第三共和政について確認していきたいと思います。

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フランス第三共和政

フランスの戦争目的は、イギリスの戦争目的と一部同じになります。英仏ともにポーランドと同盟国の関係にあり、イギリスは、ポーランド・イギリス相互援助条約、フランスもポーランド・フランス相互援助条約を結んでいました。
ポーランドの独立保障をしていましたので、ドイツのポーランド侵攻に合わせて宣戦布告致しました。フーバー大統領の回顧録では戦乱を望むフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領がポーランドの独立保障をするように進言したとされています。

ポーランドとの同盟によりドイツに宣戦布告しましたが、ポーランド侵攻によるポーランドの敗退をみてイギリス、フランス共にドイツへの攻撃を控えました。
フランス軍はマジノ線まで後退しました。
ドイツはソヴィエト連邦と秘密裏にドイツ・ソビエト境界友好条約を結び、ポーランドを東西で分割しました。

その後、ドイツのフランス侵攻によりフランス第三共和政が消滅。
ドイツの影響力が強い状態でヴィシー政権が生まれました。講和条約は不平等ではありましたが、一応フランス国民に主権は存在していました。
戦後、イギリスに逃げていたド・ゴールがフランス入場には自分らが一番乗りさせろと我儘を通したおかげで、フランスは大国に復活できました。
ヴィシー政権は最初から存在しなかったという歴史歪曲を行い、ド・ゴールという大統領でも首相でもない亡命していた一軍人に正統性があるとしたわけです。

戦争目的とは違いますが、大国として復活できたことは成果と言えます。
直接の当事者ではない第三者からしてみれば、非常にみっともない。
戦後、ポーランドはソヴィエト連邦の衛星国化してしまいましたので、戦争目的はもちろん達成できていません。

余談

ポーランドも英仏の独立保障で、ドイツの要求に対して強硬な態度を示したことも一因であると思いますが、残念なことにドイツのポーランド侵攻が行われてしまいました。
英仏がソヴィエト連邦をスルーしてドイツだけに宣戦布告した理由がいまいち理解できません。
フランスやイギリスにとってナチスドイツが当面の脅威であったことは否定しませんが、優先順位と考え黙認したのか判りませんが、西側列強はソヴィエトを非難すらしていません。
そうやって振り返ってみると、英仏のポーランドとの同盟、独立保障は何だったのかと疑問に思います。同盟を維持する実力も意欲もない。
ポーランド臨時政府をイギリスにて受け入れたものの、中途で未承認となり、ソヴィエト連邦が用意した政府が正統とされました。
これが、ポーランドが戦勝国でありながら、同じ戦勝国であるソヴィエトに対しも、西側に対しても未だに不信感を引きずっている要因となっています。

つづく

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