中国の定義 第4回

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中国の定義

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5.文化

古代シナにはさまざまな文化があったということで、雄大なイメージで語られています。

実際に正倉院にはたくさんシナから伝えられた見事な品物が現代にも残っています。お宝として高値がつくものであったり、物によっては、現地には残っておらず、正倉院にしか残っていないような希少な品もあったりします。

日本人の中国文化観と中国幻想の根本は「古典漢籍」や「古代漢民族」への憧憬にあるのではないかと推察いたします。
例に上げると、人材的な交流がほとんどなかった江戸期知識人の漢文は見事に前漢・後漢代の文章になっています。
日本人が日本人の感性をもって漢籍に接したため、とうの漢人の思惑以上に昇華させてしまったのではないかと思います。

日本人の論語好きは有名ですが、実際のところ日本人に合うものだけを取り入れ、合わないものは排除(存在すら知りません)しています。結局のところ、全体の一部だけ利用しているにも関わらず全体が評価される傾向にあります。
儒教にしてもそうです。日本に合う部分だけを都合よく取り入れたため、中国や朝鮮の儒教と日本儒教は性質が異なってしまっています。

日本に合ったものを取捨選択し、遣隋使、遣唐使以降、漢文書籍のみを輸入し、直接、漢人と接せず研究してきた弊害であろうと思います。

歴代王朝で発行された漢文の書籍はかなりの割合で日本人が購入しており、現在残っているのも同様日本のほうが多かったりするという現実もあります。

遣唐使として唐に渡った僧、円仁の入唐求法巡礼行記に記された体験記(全文漢文で一度、英語に翻訳されてから現代日本語に訳された。)の内容にしても当時の漢民族につい生々しくリアルに記されています。(漢民族に憧れを抱く人々にとっては、一部かなりショッキングでセンセーショナルな内容が書かれています。)

日本人が尊敬の念を持つ漢文化は幻想のみが残り(正確に言えば日本で文化として継承されています。)、現状は現地ではすべて失われています。
易姓革命が起きるごとにかなりの人口が失われ、文化も継承されずに消滅してしまった事例が非常に多いため、唐の文化を知りたければ日本に行けと言われるほどの断絶が発生しています。

記憶に新しい最近の事例では、1966年から1976年の約10年間続いた「文化大革命」があげられます。詳しい内容は今回割愛いたしますが、古い歴史を持つ商品の生産から販売までを旧文化として職人、関係者をことごとく殺害したため、数多の芸術品を生み出した、景徳鎮の窯や浙江省の金魚の養殖場が破壊されました。(景徳鎮復活のために日本に留学したそうです。)

現在、中国の文化とされる代表的なものは以前から関係している諸国の記憶(清)として残っている物(合わせて現地復権したものもある)です。

公共心という考えを持たず、人を信用せず、謀略に長け、刹那的で、金銭に汚く、目先の利益のために信義を損ねることを恥とも思わず、虚偽はあたりまえ、他人を踏みにじり、最悪の場合殺しても平気といった民族性は文化でもあるが、今回はあえて触れないことに致します。

 

満洲国皇帝 愛新覚羅溥儀と孝恪愍皇后(婉容)

満洲国皇帝 愛新覚羅溥儀と孝恪愍皇后(婉容)

日本人がイメージする中国の文化的衣装であるチャイナドレス(旗袍)は、万里の長城以北出身の満洲族(女真族)の民族衣装です。詰め襟は暴風対策、スリットは乗馬できるよう配慮されたものです。辮髪同様、清時代にシナに広がりました。(漢人の着用は認められていませんでした。)

次回につづく

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