「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで Michael Schaller(マイケル シャラー)
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内容紹介
1945年から90年代までの歴史的経緯を詳細に検証する。冷戦下の共産化の脅威と予想を超えた経済発展が両国の立場をどのように変容させたか。日米関係論の必読書。
内容(「BOOK」データベースより)
1945年の敗戦から占領期を経て52年に主権を回復し、その後目覚ましい経済成長を遂げた日本の現代史はまた、アメリカとの関係の歴史でもあった。詳細な史料を駆使して、主にアメリカ側の視点から冷戦終結後までの日米関係を検証したのが本書である。戦後の冷戦構造下で共産勢力が拡大する東アジアに位置する「同盟国」日本は、アメリカにとってどんな意味を持っていたのか。
敗戦で疲弊し生存のための経済復興に必死の日本にとってアメリカの存在とは何だったのか。
さらにそこに軍事的脅威であり巨大市場でもある中国が影響を及ぼしていく様が生き生きと描かれる。従来の日米関係の見方を大きく変える画期的著作であり、両国間の問題を考えるうえでの最重要図書である。
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所感日本の歴史教科書は、国家間の相互関係や当時の国際状況を無視して、日本視点で日本がやったことだけを羅列しているため、日本は何というひどいことをしたのかという感想を抱きがちであると思います。
結果には必ず原因というものがあり、双方の立場で検証することは、過去のできごとを把握する意味でも、反省する意味でも、今後に活かす意味でも重要です。
さて、マッカーサー研究で有名なマイケル・シャラー教授が書かれた本書は、「アメリカの視点」で書かれた戦後の日米関係についての書籍です。日本人著者の日本視点での日米関係についての本は多数ありますが、アメリカ視点のものは、非常に少なく貴重なものであると思われます。
大東亜戦争後、米国にとって非常に脅威であった日本がふたたび周辺国の脅威になることがないよう戦力を解体し、農業国にしようと政策を進めたものの、後に日米対決の「からくり」に気がついたため、急遽東京裁判を止め、共産主義の防波堤として警察予備隊を創設し、日本の産業復興を目指しました。
客観的に日米関係を見つめ直し、新たな気づきを与えてくれる本です。
中でも衝撃的であったのが、中ソの核に対抗するため、ニクソン大統領時にアメリカは3度に渡って日本の佐藤首相らに核武装を持ちかけていますが、世論が許さないと佐藤首相は断っています。日本はあてにならないということで、電撃訪中、日本を捨てて米中が手を取り合ったという経緯が記されています。
佐藤・ニクソン会談
1969年11月の会談でニクソン大統領は「沖縄の核兵器をアメリカ製から日本製のものへと変えるように促した。」
メルヴィン・レアード国防長官
1971年7月、アメリカが安全保障努力を制限する代わりに、日本は東南アジアの国々に軍事援助費を提供し、自身の軍事能力を増強し、将来の中国の脅威に備えるため対弾道弾ミサイルの配備に着手すべきである。と主張した。彼との部下たちは、アメリカ政府は日本の核武装に賛成していることをにおわせた。
佐藤・ニクソン会談
1972年1月、再び訪米した佐藤首相に対してニクソン大統領は、日本はアジアで経済面だけでなく、軍事的役割を果たすべきだと主張したが、佐藤首相は、「日本の国会と国民の圧倒的多数が核兵器に反対している。」と反論。
この3回でニクソン大統領は、日本国はソ連と中国の核の脅威に対してアメリカとともに戦う意志はないと表明
日本を一つのコマとして考えるアメリカのやり口、発想を非難する人もいるかもしれませんが、その考え自体極めて日本人的な発想(国内においては否定する気はありません。)であって、国家間関係において押し付けるべきではないと考えます。むしろ明治期の政治家のほうがドライに国益を追求できていたのではないかと思います。
江崎道朗先生が、中国共産党の日本国内における工作活動の講義においてマイケル・シャラーの「日米関係とは何だったのか」を引用しています。(本記事以上に内容を詳細に伝えています。)
こちらも非常に興味深い動画です。