日本刀について ①
私が頻繁に訪問するまとめサイトにおいて、コメント欄が盛り上がる(荒れる)スレッドとしてあげられるのが、日本刀、零戦、徴兵、移民のネタです。(自分調べ、ただの主観です。)
さて、その日本刀についてですが、現在所有している方も限られますし、武道として居合を経験されている方ぐらいしか実際に手に触れ、どのようなものなのか把握している人が少なく、伝聞のみでの評価しかできないのが大半ではないかと思います。(私は個人で1尺7寸程度の無銘脇差を所有しています。)
知る機会、触れる機会、試す機会がないがゆえに、日本刀は毀誉褒貶の間にあり、評価が分かれてしまっているのではないでしょうか。
江戸時代、生類憐みの諸令が発布されて以降には、実戦で使うことなく天寿を全うする武士も多数発生するほどの天下泰平の世であったため、自分が所有する刀が斬れるものなのかどうかを把握していないものもいたでしょう。
時代劇でよくみられる無礼打ちや辻斬り、斬り合いといったものも中期以降はほとんど発生しておりません。
よくあがる言説として以下のようなものが、よく見かけられます。
- 日本刀は3人斬ると脂がのって斬れなくなる。
- 日本刀は西洋のロングソードに比べてもろい。
- 日本刀は「中国」の青龍刀に太刀打ちできない。
- 日本刀はサブウエポンであってメインは槍である。(首を取るためのもの)
まず、この手の論議で気をつけるべきなのは、日本刀の定義がそれぞれの論者のなかでずれていることです。
知識がなく、ステレオタイプのイメージでの言説なのか、日本サゲ狙いなのかはわかりませんが、大抵の場合は、時代劇やその他の創作物の影響か、日本刀を泰平の世、江戸期に普及していた「打刀」を想定している方がほとんどです。
日本刀は、太刀、打刀だけでなく、広義では、長巻、薙刀、剣、槍なども含まれます。
徒士向けの打刀が登場したのは室町時代頃で、太閤刀狩り以降は長さが短めに規制されています。合戦の絵巻を見た感じでは、ほとんど太刀を佩いています。打刀を天神差しているのかもしれませんが、銘が見えない以上、判断できません。
誕生以来、戦乱の多い日本において数々の合戦で利用され、勝利のために切磋琢磨、試行錯誤が繰り返されて昇華した武器という前提がすっぽりと抜けています。
また、よく言われるような欠陥があれば、長きにわたる戦乱の時代に淘汰されたはずでしょう。
幸いなことに日本においては、数々の文献、書籍が現在まで残っており、解読さえできれば、詳細が現代でもわかるようになっています。
また先にも述べましたが、江戸中期以降の泰平の世では人を斬ったことがない武士が多数派となり、自ら所有する刀がどの程度のものなのか所有者本人ですらわかっていなかったというのが現状でした。
そのような状態であったため、歴代山田浅右衛門(刀剣試し斬り、死刑執行人)が記した懐宝剣尺や古今鍛治備考が判断基準として売れました。
史実に残る記録では、七ツ胴程度まで残っているそうです。(据物斬り。死体を7体重ねて、竹杭の間に挟む。)
さて、最近になってやっと徐々に否定論が根付いてきたと思われる、「日本刀は3人斬ると脂がのって斬れなくなる」の出典は山本七平氏の「私の中の日本軍」です。
死体の腕と足を切った山本氏の体験から、腕は二太刀、脚は一太刀でやっとのこと切り離すことができた。そのとき刀身を拭うとなにやらべっとりついてきた。鞘には収まったが、鍔や柄がガタガタする妙な感じがしたとのことです。
経験者に聞けば早い話ですが、山本氏の腕が悪かったことと数多く生産された軍刀でろくに手入れもされていなければ、当たり前のようにあり得る事象です。
このような一例において、今までの数々の文献を否定すべきではないでしょう。
一方、成瀬 関次氏の「随筆 日本刀」(1942年)の内容をみると。
素肌の人間を斬ることほど他愛のないことはない。
首は、45cm程度の脇差を片手で持ってそれで斬れすぎるほど。
経験の浅い若い士官が大刀を大上段にふりかぶり、満身の力を込めて敵の首を狙い斬りすると勢い余って土の中まで切り込むのはまだよいとして、自分の左の脛を斬って大怪我する。骨をきるというのも、思った程ではない。死後若干時間が経過すると固くなってきりにくいが、生き身は今年竹の程度。誰しもがいう大体首は、中位の南瓜を横に斬る程度、生き胴は南瓜に横に直径4cm程度の青竹を一本貫いたものを斬る程度といったら見当が付くだろう。
斬り損じる原因の一つは、誰しもがあわてること、上気することだ。
見当誤り肩骨に切り込んだり奥歯に切りかけたりして失敗してしまう。日本刀は確かによく切れる。
しかし考えねばならぬことは何を切るかということである。
生身の人間を切るのと、鎖の着込みを着た人間とでは違う。
また、戦場で鎧武者を相手に戦う場合には切れ味よりも頑丈でなければならない。
さらに、切る人間の技量によって大きな差がある。
いくら名刀であっても、ずぶの素人、特に女性が切る場合と、据物斬りの名人が切るのではその切れ味に大きな差が出てくることは誰が考えてもわかることであろう。
多少のなまくら刀でも力の強い男が力いっぱい切れば、人の首などわけなく切れるはずだ。
ろくな刃がついていない青竜刀のような鈍刀で、重みで人の首を斬るのと同じである。
山本氏の言とはずいぶんと異なる評価がなされています。
成瀬氏の場合は、基本的によく切れるが、術者の腕、刀の質、相手の装備(鎧や鎖)によって左右されると冷静に書かれている
現代の倫理観念で言えばずいぶんと物騒なことが書かれていますが、至って冷静に客観的に分析されています。
(つづく)