朝貢について

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現在の朝貢に対するスタンス

現在、中華人民共和国は、過去に朝貢を行った国を皇帝の臣属であったとし、現在、沖縄県(琉球)などさまざまな国家の支配地域の領有権を主張しています。

その根拠たる朝貢は、
使節団がシナ皇帝に貢物持参し礼を尽くし、貢物以上のお土産を持って帰ることができる。

皇帝より認められると、金、銀、銅などの印綬を賜り、王などの役職を任命される。
印綬の材質によって序列が違う。

といったイメージを持つ方がほとんどであろうと思います。

この中華人民共和国が現代アジア地域に膨張する根拠としている朝貢について、是非はともかく日本人として詳しく知っておく必要があるのではないでしょうか。

秦建国から何度か不在時をはさみながらも、維持されてきた皇帝制度に欠かせないものは、現代の日本の会社でもある「朝礼」でした。

会社の朝礼は会社によって差異はあるものの、大体の場合は決まった日の朝に行われるものです。

シナ皇帝の朝礼は、本来満月の夜の明け方(太陰暦16日)の早朝に行われます。
満月の夜のうちに地方の商人が、市場が始まる前、宮城の「朝廷」に集まります。
名の通り朝廷は、朝礼をする庭という意味にあたります。

群臣が整列して待っている間に、皇帝は肉を食べず酒も飲まず心と体を清めた状態で牛や羊などの動物を殺して神に捧げ、祭ります。

その後朝礼が始まります。
秦の始皇帝の時代や漢の時代はどのようにやっていたのか、詳しい資料は残っておりませんが、清の時代の「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」とほとんど変わらない内容であったのではないかと思われます。

三跪九叩頭

イギリス使節が拒否したいわくつきのアレです。

一度跪(ひざまず)いて、三回頭をたれるという動作を三回繰り返す手法です。

  1. 跪(ホイ)
  2. 一叩頭(イーコートゥ)再叩頭(ツァイコートゥ)三叩頭(サンコートゥ)
  3. 起!(チー)

これで1セットです。

この三跪九叩頭が終わると、殺した動物が近臣に分配され、朝礼が終了し、市場がはじまります。(同じ肉を食べた仲間として神の加護を受ける)

さて、この朝礼には、臣下だけではなく近隣諸国の使節も参加しました。

使節のお土産は「貢(こう)」といい、手土産を持って朝礼に参加することを「朝貢」と呼びました。

朝貢は、皇帝に対する友好の意表現で、外国人である必要もありません。首都に住まず皇帝の臣下でないものが参加することもあったようです。

手土産は高価なものである必要はなく、皇帝にとっては遠方からの来訪者が自らを皇帝として認めていることを群臣、群衆に見せつけることが目的でした。

外国の君主や使節からしてみれば、皇帝の臣下になったわけでもなく、シナ王朝の支配権を受け入れたわけでもありません。(皇帝の支配下にある地域においては、皇帝は交易による税収権と特定産物の専売の権利を有した。)

朝貢は国と国との間の関係ではなく、個人としての君主が個人としてのシナ皇帝に対する友好の表明であって、朝貢を受け入れるのは友好の受け入れ(同盟の受け入れ)にしか過ぎません。

そもそも日清戦争後に日本に留学して学ぶまで、国家という概念がなく、すべてはシナ最大の資本家である皇帝の所有物です。戦争資金も皇帝のポケットマネーで行います。

現代の中華人民共和国は、解釈を曲げて「外国の朝貢は中国への臣属の表現」と解釈しています。
歴代琉球王が清朝皇帝に朝貢を行っていたので、沖縄県は中国の領土であって日本国が明治時代に侵略したと主張しています。
ここらあたりは、石平氏の「中国が反論できない 真実の尖閣史」において古資料をもとに詳しく解説しています。

尖閣の次は沖縄、沖縄を手に入れれば次は九州、あるいは遣隋使、遣唐使にさかのぼり日本国の領有を主張するでしょう。
過去に朝貢を行ったことがある漢人と全く関係のない周辺国家が戦後、3つの国と一部地域が中華人民共和国に領有されてしまいました。
この点に関しては、日本人は重く受け止めるべきであるとわたしは考えます。

一部の与野党問わず親中派の政治家は、現在の中共がそのような解釈をしていることを知らずして、あるいは知りながら、朝貢とほぼ似たような行動をしていることも忘れてはなりません。

(了)

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