戦略将軍 根本博―ある軍司令官の深謀 小松 茂朗
内容(「BOOK」データベースより)
たとえ逆賊の汚名をうけようとも、管轄下の在留邦人4万の生命を救おうと、天皇の停戦命令に抗してソ連軍を阻止しつづけること1週間、みごとに責任を果たした戦略家の生涯。陸軍きっての中国通で「昼行燈」とも「いくさの神様」とも評された男の波瀾の道のりを描く感動の書き下ろし人物伝。
最近は、いろいろな箇所で紹介されるようになり、保守系では認知度が高まってきた根本 博(ねもと ひろし)陸軍中将。
話題作で有名なのは、門田隆将 『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、2010年)ですが、今回ご紹介するのは、1987年に発売されました小松 茂朗氏の書籍です。
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根本博 陸軍中将
陸軍の中でも支那通で通っており、ロシア人の本質を熟知していた根本中将は、昭和19年の冬に、蒙古国(蒙古聯合自治政府)に陣する駐蒙軍司令官に着任します。
辺境の地であるため、たったの2500名の兵力しか与えられませんでした。
この寡兵にてソ連軍と国民党軍(傅作義)と八路軍(中国共産党軍)に備えなければならない状態でした。
昭和20年4月が期限の日ソ中立条約は期限を延長しない(ソ連側は破棄と表現)と発表しているにもかかわらず、中央はお役所仕事の楽観主義でソ連はせめてこない、攻めてきたとしても秋以降になるだろうとかなりのご都合主義でした。
根本中将は、ソ連戦を想定しての準備を勝手にはじめました。
同地域に住む邦人4万人を無事に内地に帰すために、交戦していた国民党軍の傅作義と連絡を取り、根回し(中立化工作)をしました。
野砲や戦車をかき集め、「丸一陣地」という陣地を構築(決して難攻不落といえるような代物ではない)しました。
抵抗しなければソ連兵は居留邦人に対してなにもしないという外務省の通達を無視し、居留民脱出の体制づくりを行いました。
直属の上司 岡村寧次陸軍大将 支那派遣軍総司令官から武装解除命令(形だけ)の電報が届きますが、根本中将は、罪を問われた際は一切の責任を負って自分が腹を切れば済む事だと覚悟を決め、「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う」と、日本軍守備隊に対して命令を下しました。
ソ連軍も幾度も攻撃を加えますが、うまく行かず、降伏勧告のビラを撒いたり、降伏勧告にきたりしましたが、追い返しました。20日には大規模攻勢を受けますが、引きつけてからの一斉射撃にて撃退。ソ連軍はほうぼうの体で退却。その日の夜半にこっそり撤収しました。
即武装解除したせいで、多大な被害が発生した満洲とは違い、2500名中戦死者70名弱程度出したものの、居留民は全員帰国できました。
万里の長城以南の岡村寧次 支那派遣軍総司令官の勢力範囲にある居留民も同様、無事に帰国することができました。
これもヒマラヤルート以外の援蒋ルート遮断と大陸打通作戦で弱っていた蒋介石率いる国民党軍が、失敗はしましたが日本との単独講和を目指したこと。戦後、中国共産党、ソ連の影響力増大を憂慮し、利害が一致したこともあります。
この時の恩義に報いるために、復員後の根本中将は今から釣りに行くと家から出かけ、そのまま九州から漁船に乗り台湾に密入国、蒋介石に協力し中国共産党軍の台湾侵攻を防いだわけです。
根本中将にしても岡村大将にしても過去の遺恨を水に流し、在留邦人帰国の恩に報いるのは、非常に日本人らしく、武士の鏡と言えると思います。
本書内では、国民党の諸将軍は好意的に記載されており、評価が著しく高く、とても事変を戦った相手とは思えないような記述がされています。
支那事変、その他の資料に記載されている人物と本当に同一人物なの?と思うくらいです。
この辺は、邦人帰国の事情と戦後の影響を受けた出版物であるということを踏まえた上で、読んだほうがよいと感じました。
蒋介石が「以徳報怨」といって日本人のために便宜を図ったと、一般の日本人が一方的に恩義を感じるのは明らかに筋違いかと思われます。
西安事件以降、協力関係にあった日本を裏切り、支那事変を起こし、日本人を50万人を殺し、一切の講和交渉に応じなかったのも紛れもなく蒋介石その人です。
戦後も根本中将や岡本大将だけと交流があったわけではなく、第二次上海事変の作戦計画指導を行ったドイツのファルケンハウゼン歩兵大将に対しても援助を送り、抗日勝利を祝いあっていることも忘れてはなりません。
台湾の国民党の方が、ソ連の対日開戦した当初、中華民国首都の重慶は日本軍に包囲されている状態であったため、このまま推移すると国民党にとって非常に危険な状況になるため、早々に日本軍に武器を捨て出ていってもらいたかったと本音で語っています。
そういった意味では、「日本が国民党を潰し、共産党が権力に就くのを助けたのだから、謝罪する必要はない」と日本の首相に皮肉※を言った毛沢東にしても、孫文にしても、今回例に上げた蒋介石にしても、シナ古来からある「用敵」しただけです。
日本人が感謝する必要は全くありません。戦前のこの教訓があったにもかかわらず、全く生かせず鄧小平以降の改革開放で同じ過ちを犯したことを深く受け止め、二度と同じ失敗をしないようにしたいものです。
※これを皮肉と受け止められない日本人が多い。