日支民族性論 大隈重信
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大隈重信、中国人を大いに論ず
大隈重信、中国人を大いに論ず 祥伝社
大隈重信=著 倉山満=監修
商品の説明
安倍さんも真っ青?
現職首相がなぜここまで過激な本を出版したのか?
「何度革命があっても、何度王朝交替しても中国人は変わらない」
「中国が滅ぶときは自滅しかない」
初版から90年間黙殺されてきた禁断の書、現代語訳で復刻!
※本書は、大隈重信の1915年(大正4年)の著書『日支民族性論』を現代語訳したものです。
『嘘だらけの日中近現代史』などの著書で知られる憲政史研究者、倉山満氏の解説つき。
大隈重信といえば、いわずと知れた早稲田大学の創設者。しかし彼が、2度も首相をつとめた人物であることを知る人は多くないかもしれない。
さらに、あの「対華21カ条の要求」を突きつけた内閣の首相でもある。
大隈重信のすごい中国観・中国人観(本文より)
「支那の革命は、いつも同じことだけを繰りかえしている。
聖人が昔からこのことを戒めて、教えを垂れてきたのであるが、
支那は古来、文教の国であると誇張して自称するばかりであった。
支那人は小児のときから、聖人の金の言葉に親しんでいるにもかかわらず、
そのとおり実現できないまま、今日に至るのは、なぜなのか」「支那では、法律といえば、ただ刑法のみをあらわし、
民法による民事裁判のようなものは成立してこなかった。
これが徹頭徹尾、支那の発展進歩を妨げた、
癒すことのできない病根であったのだ」「支那には、数千年の歴史がまるで一日のようにしてあるだけで、
まったくといって進化の跡がない。
いつものように、形式を尊び、詐術を愛し、
それでいて窮境におちいったときには、頼るべきでない相手を頼りにして、
目の前の苦痛だけが去れば、それでいいのだといったように、
将来の大きな患いにまで思慮のおよぶことがない」「あの大国は、けっして他国によって征服されることはない。
もし、支那が亡ぶようなことがあるとすれば、それは自滅であって、
外からの攻撃によるものではない」
商品紹介だけでもう内容がどのようなものなのかが判ってしまうような書籍です。
現職総理大臣が、このような書籍を出版することは現在においては考えられられません。仮に現職首相である安倍総理が本内容と同等の書籍を出版するとモリカケ問題なんて問題にもならないようなレベルで西洋、東洋問わず国際的な問題になり、内閣総辞職となるでしょう。
清国との交渉をしている中、よほど頭にきていたのではないかと想像に難くありません。
口語訳で162ページ、倉山氏解説27ページで、それほどページ数が多いわけでもありませんが、100年前にもかかわらず、現在にも十分通用する支那人(中国人)論を書いていたこと。(理解していたこと)
日本への提言を論じていたという点で今の日本人にも読んで、知っておくべきだと強く思いました。
このような書籍があっても、現代に活かせず、失敗を繰り返してしまうというのは、非常に問題であると思います。
当時は欧米列強の脅威というものがあったという前提において書かれています。
支那人は、列強が対峙する関係をよく知って日本人の精神を知り、日支が争うべきではなく、将来永遠に我が国と連携して、東洋の平和に尽くすべきだと述べていますが、後年その理念をもとに日本人も行動しましたが、結果は現在のとおりです。
日本の隣にこのような人々がいることは、どうあがいても避けられません。しっかりと悉知した上で、どう付き合っていくのかが、日本にとって、日本人にとって、アジアにとって、世界にとって最上であるのかを振り返ってみるキッカケになれば幸いかと思います。
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大隈重信、中国人を大いに論ず
目次
- その一 この遺伝性をどうしたものか
- その二 まず、最近の歴史から見る
- その三 支那の日本に対する侮辱
- その四 苦しいときの神頼み
- その五 このたびの交渉の経過は、このようなもの
- その六 尚古の陋風と始皇帝の英断
- その七 道学と儒学の消長
- その八 支那の自大心とその実際の勢力
- その九 閭右と閭左
- その十 中国の誇りはどこにあるのか
- その十一 熱烈な宗教的信仰がない
- その十二 常に文弱によって亡ぶ
- その十三 朱子の学風と孔子の儒教
- その十四 武強で亡ぼしても、文弱に征服される
- その十五 支那人は、いまもって鬼神説の信者である
- その十六 国は自力によって保たれなくてはならない
- その十七 自滅しないのであれば、亡びることはない
- その十八 なぜ、日本と支那は相携えるべきなのか
- その十九 日本に漢字が迎えられた理由
- その二十 ここにわが民族性の光輝がある
- その二十一 平安朝の模擬的文明
- その二十二 文明の過渡期には暗礁がある
- その二十三 支那はどうして日本から学ぶことができないのか
- その二十四 支那流の虚栄に学んではいけない
- その二十五 福沢翁の心事をわが心事としなさい