日本の政教分離

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日本と欧米の違い

先進国と呼ばれる国家においては、現行の憲法において政教分離が謡われています。

欧州やアメリカでの政教分離は、カトリックやプロテスタントの教会や宗派が国家の政治や外交に多かれ少なかれ影響力があったという歴史があり、それらの勢力の干渉を防ぐという意味合いがあります。

一方、日本においては安土桃山時代以前では、旧仏教や新興仏教、あるいは神社などの勢力が政治に干渉し影響力を発揮するというよりも、時の朝廷あるいは幕府があくまでも主体であって、各宗教を政治に利用してきたという経緯があり、欧米のそれとは少々異なります。(宗教勢力が独立勢力として地域を自治していたということは存在する。)

現代の日本人の感覚では、海外のニュースで触れられるような宗教の宗旨の違いによる争いや衝突、時には武力紛争、戦争などの事象についてピンとこないのではないでしょうか。
話し合って折り合いをつければよいのにと思ってしまう場合が多いのではないでしょうか。

このような感覚を醸成するに至った現代の日本国内は、宗教の宗派による争いや他宗教の弾圧といったものが見受けられず、想像もできません。

今でこそ当たり前となった他宗教および宗派に対する寛容性は、昔からそうであったかというとそうではありません。
環境を現在のようなスタイルに変えた人物は織田信長と言われています。
ただ当の本人が自覚して政教分離を掲げて変革を目指し、進めていったわけではありません。

安土桃山時代以前の日本国内の宗教勢力の殆どは、信者獲得と宗派の違いにより争い競い合っていました。
もちろん現代のような穏やかなものではなく、当時の主要宗教勢力は、武装しており経済的にも独立した存在でした。

油や紙、醤油などの商品を製造販売するための特許料を取り、自ら設置した関所での通行料徴収もしていました。
その利権を侵害する勢力には武力をもって制していたというのが実情です。

宗教間の武力衝突や領主との争いも存在していました。そういった意味においては日本においても現在世界で起こっている宗教間の問題と同様のことが起こっていたわけです。

信長は、「天下布武」を掲げ、楽市楽座の創設、関所の廃止といった教科書にも出てくる政策を実行しました。
よくその政策は信長オリジナルではないとか、ネガティブな反論がでてくるこの話題ですが、実行、完遂したということは、正当に評価すべきであると私は考えます。

信長はそのパテント料や関所の通行料を宗教勢力に払わないでいい代わりに、今まで徴収されていた1割程度を納税してください。そうすれば武装勢力からあなた方を守り、なおかつ商売しやすいようインフラ整備するという形で進めたわけです。

おかげで自然に他国からも人は集まり経済的にも潤います。

そのように自由に物を作り、物を売り、流通させるといった市場経済の基本を実施されたことにより利権が失われた比叡山をはじめとした宗教勢力が信長を仏敵とさだめて衝突したわけです。

また、安土宗論にもあるとおり、宗教間同士の争いも行わないようにしました。
武装解除したこともあり、血なまぐさい争いは収束に向かいました。
必ずしもすべての宗教勢力が抵抗したわけではなく、武装解除に応じた勢力には、所領を与えて経済的な安定を得られるように配慮いたしました。

家康の頃には宗教勢力の非武装化は徹底された一方、寺領を与え公儀に取り込み、基本的に改宗を禁止しました。そのため宗旨や宗派ごとの競争が消失いたしました。
寺に関しては本末制度にて縦社会を徹底、檀家制度にてすべての人がどこかの寺に所属し、末代まで変更ができないようになりました。
これにより信者獲得競争も消失いたしました。

以後、宗教勢力は武器を持たず、宗教争いで人殺ししないようになりました。

この内容は織田信長だけが実行し、完成させたわけではなく、織田信長の治世よりはじまり、豊臣秀吉、徳川家康と継承され政策を継続したことにより完成されたものです。ということを誤解のないように言及いたします。
織田信長
というわけで、日本における政教分離は欧米と同じ概念であればそもそも存在すらせず、日本式の政教分離は、織田豊臣徳川で宗教勢力の力は消失し、江戸幕府により天下泰平のためにうまく活用され、明治の信教の自由により完全に消滅しました。

大日本帝国憲法第28条
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス


大間違いの織田信長

織田信長ほど歴史学会と世間ほどイメージが異なっている例はないと言われています。

カリスマ、兵農分離、天皇になろうとした、宗教弾圧者、部下に厳しいなどと知られているイメージが誤っていることを気が付かさせてくれる一冊です。

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