戦略で分析する古戦史 川中島合戦 海上知明

Tags

スポンサードサーチ

資料実証主義のみでは図りきれない上杉謙信像

地域性もあり、幼少時より織田、豊臣、徳川以上に上杉謙信に親しみを持っており、ノンフィクション、フィクション問わず、小説やムック、特集などを読み漁っていました。
この本に出合うまで(実際のところは前作の孫子の盲点 ~信玄はなぜ敗れたか?~ (ワニ文庫))は、私の知識は、ステレオタイプの謙信像でしかありませんでした。

漠然とながらも上杉謙信の合戦で疑問とまではいかなくとも、心の奥底につかえていたものが、本書によって取り除かれました。

意味不明な寡兵での死地たる妻女山布陣

1560年の段階での謙信の動員力(松隣夜話での北条氏算出)は3万5千~4万人、遠征動員は2万~2万5千人とされています。
第四次川中島合戦時には、長尾政景以下2万強を春日山に残し、蘆名氏と大宝寺氏に留守の援軍を頼んでいたため、春日山城下の兵はさらに多くの兵力が存在しました。

川中島遠征に1万人を動員し、現地の味方の信濃勢3千人と合流。5千を後詰として善光寺に配置し、残り8千で川中島に向かいました。

ここで生じる2つの疑問点。

  • 前線で戦う兵力が少なすぎる
  • 敵地奥深くの妻女山に布陣

春日山に残る残存兵力は過大で、現在、孫子に忠実に動いていた武田晴信相手では背後に不安が残ることも考慮したと説明されていますが、それでも春日山の兵力は多すぎるように感じます。そこまで大量動員が必要な勢力は越中方面には存在しません。羽前と岩代から援軍が来ています。

川中島の合戦の結果を知る後世の視点では見落としてしまいがちかもしれませんが、いくら戦上手でほとんど負けなしと言われた謙信であっても、精強な武田軍よりかなり少ない兵力で敵地の奥深くに布陣することは、普通に考えて自殺行為で合戦目的も意味不明といえると思います。(上杉年譜によると目標は海津城)

前半上杉氏の勝利で、後半武田氏の勝利ともいわれている本合戦ですが、謙信の兵力配分、兵の動かし方だけ見ると、謙信は何をしたかったのか、本当に意味が不明です。

しかも、当時の日本国内だけにとどまらず、欧州を見渡してもかなり大規模な合戦であったことは言うまでもありません。

本書において海上氏は、確定的史実視点からの整合性だけに頼らず、社会科学と地政学、バランス・オブ・パワーの視点、国内外を問わない戦略・戦術の原則を当てはめて検証するという一般の史家が採らない手法をもって合戦の妥当性を問うという演繹法を使って検証しています。

何のために武田軍と上杉軍が「川中島」という地で戦ったのかを地政学的視点(ハートランド・リムランド論)から検証。

川中島の合戦は史上最強の名将上杉謙信と孫子の忠実な体現者である武田信玄との秘術をつくした戦いで、世界の戦史史上類を見ないほどの高度で精緻なレベルの知略戦であったこと。結果論的に言えば、川中島の合戦の結果ゆえに東国大名の勢力バランスが変えられず、東国勢力による天下統一ができなくなったこと。

当時の合戦では見られないような近代戦に近いレベルの死傷率の戦であったこと。が事細かく検証されていました。

スポンサードサーチ

上杉義軍否定史観について

最近よく見かける上杉軍の略奪について、現時点では「謙信旗下」の上杉軍が略奪したという確実な資料は存在していないということ。

永禄9年に小田原城下で「人身売買」をしたという話。こちらも上杉軍が乱取りにて金儲けをした理由にされているが、2点の問題点があげられる。一つは捕虜の金額が20~30文程度であったこと(当時の人足の日給にも満たない程度。これでは儲けになりません。)、もう一つは乱取りした勢力圏内で売買していること(北条氏の力を削ぐわけでもなく、意味不明)

この2点からも金儲けのためでもなく、敵勢力への嫌がらせでもなく、手間賃程度で捕虜開放しているような感じに見えてしまいます。

Youtubeのチャンネルくららにおいて、同書の興味深い解説も行っております。

著者によると、わかり易い図表が入ったため値段が上がったとのことですが、数々の腑に落ちない点を払拭してくれ、値段に見合った良書に出合えたことに感謝したいと思います。

1 支持する! 1支持する!されています。